January 31, 2006

うれしい一言 でちょっと思った

昨夜、新しい施主への一回目のプレゼンがありました。

とても感じのいい方々。

私の仕事の説明を簡単にしてから、
早速、プランの説明。

二名の建築家から、それぞれ一案ずつの説明。

一通り終わってからの施主の一言。

「なんか楽しそうじゃん。
 どうせやるなら、楽しいほうがいいじゃん」

その通りだと思います。
こういう一言が私たちのやる気を煽る。

「楽しく家づくりしたい」
とてもうれしい一言だなあ。 とちょっと思った。

そして、この後は
お決まりの“茨の道”へと進むのである。

特別無料見学会 → LINK

January 27, 2006

『・・・家』ってなんだ? とちょっと思った

『MY ARCHITECT』という映画が上映される。

私も、是非見たいと思っている。

その専用ホームページ REVIEW
のなかで、様々な方が感想を述べています。

あの、渡辺篤史さんもコメントを残しています。

と、その肩書きを見て 『?』 とちょっと思った。

(俳優/建もの探訪家) とある。

これぞまさしく、業界唯一!
いや、業界すら存在しない。

一つのことを、長く、まじめに続けていると
その道の専門家と認められ、『家』の称号をもらえるようだ。

たぶん。

January 25, 2006

テレビって、怖い でちょっと思ったこと

最近、どんどんテレビを見る機会が減ってきた。

まず、面白いものがない。
見たいと思うものがない。

それでも
「せめてニュースぐらいは見ないと」と
思ってはいるが、
ここ数日のニュース番組を見ていると
なぜか、気分がよくない。
ただでさえも、「報道番組」と「ワイドショー」の
境界線がハッキリしなくなってきているとは
思ってはいたが、改めて“イヤ”になった。

そう、「ライブドア関連」である。

なんであんな言い方するんだろう。

私は、ライブドアがどんなことをしていたかは
よく知らなかったが、『IT企業』とは思っていなかった。
みんなは違ったようだ。

『時代の寵児といわれていたのに・・・』なんて
表現がよくでてくるが、『言っていた』のは
自分たちではないのか。

『堀江氏を応援していた自民党は・・・』というけれど
自分たちも、散々、出演依頼していたのではないか。
その際には、その人がどんな人なのか調べないのだろうか。

「我々を欺いた。」
「騙された。」
って、もともと知っていたつもりなのだろうか。

なんか騒ぎすぎな感じ。

株、投資、M&Aなどに詳しい方たちは
「何を今更・・・」って、醒めているのではないだろうか。

“いじめ”に見えてくるのは、私だけだろうか。
未だに、多くの人が、今回の事件について
本当のところは理解できていないのではないだろうか?

検察は、国は、これの結果、何をしたいのだろうか?
偽装問題の証人喚問の時に合わせての騒動。
誰かをかばうため? 何かから目をそらすため?

まさかとは思うが
「まじめに、働きなさい」とでも言いたいのか?
(そんなことは、言われるまでもない)

私は、テレビの横暴ぶりが気になる。
「何をやってもいい」的な感がある、気がする。

キャスターやコメンテーターが、なにかを言う。
「あなたは本当にそのことについて、理解をしているのですか?」
と聞き返したいとき、しばしば。
井戸端会議ではないはず。

テレビで言っていいことと悪いことの区別。
「私はこう思うなあ」とポツンと呟いた一言が、
どれだけの影響力があると思っているのか。

なんか、テレビって怖いなあ、とちょっと思ってしまった。

「こういうエントリーは、しないほうが良いよ」と
妻には釘を刺されていたのだが・・・。
まあ、独り言ですから、ご勘弁を。

あっ、これじゃあテレビのことなんて言えないですね。

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January 23, 2006

見学会のご案内-更新

一つ前のエントリーでお知らせしました見学会の案内を更新しました。


  simouma-illust-web.jpg
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  → happy-project 『特別無料見学会』

January 20, 2006

見学会のご案内 @世田谷区下馬

happy-projectにて完成しました住宅の
特別無料見学会の予告をupしました。

→ LINK

January 18, 2006

最近の便器 でちょっと思った

近頃の便器は、とても便利に出来ていて
人が近づくと勝手に蓋が開いたりしてくれる。

しかし、便器の蓋くらい自分で開けられるだろうに
いったい、誰が考えたのだろう。

こんな仕掛けを、メーカーの設計部はまじめな顔して
会議などして決めるのかと思うと
少し笑える気もする。

実は、以前からやってみたいと思っていることがある。

100mくらいの長さにレッドカーペットを敷いて
その両脇に最新の便器をズラーッと並べる。
ファンファーレが鳴り響く。
そこを、颯爽と王女様とともにゆっくりと進んでゆく。

その行進にあわせて、ズラーっと並んだ便器たちが
順番に蓋を開けていく。
まるで、ディズニーアニメのように・・・。

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なんて、本当にくだらないことを、
ショ-ルームに行くたびに、ちょっと思ってしまう。


それにしても、 『便所』 または 『便器』 という呼び方。
もうすこし、きれいな言い方はないのだろうか?

January 16, 2006

面倒くさい でちょっと思ったこと

ちょっと、お下品な言葉で失礼します。

「あー、だりー。やりたくねー」
「あー、ウザイ。めんどうくせー」

だから、やらない。 やりたくない。

最近の子供たちによく見られる行動のようだ。

「何でもかんでも、面倒だって言うなら
 息すんのも面倒だろ!」 などと言おうものなら

「ハアー?!」 ってな感じの返事が返ってくる。

きちんとした会話が成り立たない。

怒られたから、キレル。 所謂「逆ギレ」。

何かおかしい気がする。

『まったく、最近の子供は・・・』
昔からよく使われる言葉。
自分ではどうして良いか分からないときに
都合よくこの言葉を使う気もする。

では、その“最近の子供”を育てたのは誰か?
自分たちである。

「面倒だからやらない」

そんなこと言っていたら、家づくりなどはどうするのだろうか?
もしかしたら、『これ以上面倒なことはない』というくらい、
面倒なことばかりが次々と起こる。

『あー、心配だ』 と

二人の息子をもつ親として反省しながらも
そんなことを、ちょっと思ってしまった。

January 11, 2006

Style と Design

ひと昔、いや、ふた昔前くらいになるのだろうか。

建築家の努めは、建築の設計にとどまらず、
生活様式、つまり、『ライフスタイル』の提案までも
含まれていたのかもしれない。

しかし、現代の日本において、それは必要なのだろうか。

特に、30~40代の施主たちにとっては、どうなのだろうか。

彼ら(彼女ら)は、子供の頃から、それなりにデザインされたものに
絶えず触れながら、現在に至っているのではないだろうか。

その結果、“モノ”の良し悪しの判断、好き嫌いの区別は
それぞれ独自のものが確立されているのではないだろうか。

そんな彼らは、自分のライフスタイルについてまで、
他人に干渉されたくないのではないだろうか。

もしそうだとするならば、今後の建築家の努めは
いったいどういうものになっていくか。

『Style』については、施主が決める。
建築家は、それを実現するための“家という器”を
『Design』すればいい。

そういうことなのか?

それらには、建築のプロとしての新しい提案も
当然のことながら含まれるだろう。

しかし、これまでのように『やりすぎる』のは
敬遠されるかもしれない。

明確な理由のないデザイン。
建築家の“やってみたい”デザイン。

それらは、ほとんどの住宅には、必要とされなくなるかもしれない。

昨今、雑誌などで取り上げられている、
『デザインされた家』たちは、20年後にはどうなっているのだろうか?

先のエントリーに絡んで、そんなことを考えてしまった。

私は、あくまでも、施主の夢を叶えるために
自分の役割を全うしようと思う。

『家づくりの主役は、何時如何なるときも施主でなくてはならない』

このことだけは、どんなことがあっても
決して忘れてはならない。

投稿者 asazuma : 9:40 AM

January 8, 2006

家の値段 その2

新年最初の不動産の折り込み広告の中に
正月気分もどこかへブッ飛んでしまうようなものを見つけた。

時代を遡ること約20年前。
それは、私が学校を出るか、出ないかくらいの時の話。

某国立大学の超大御所 某建築家が
設計する住宅の施工を請け負った。

その頃は、今と違い、
『どこの大先生だか知らないが、もうちょっと簡単な設計できないのかよ!
 これじゃ、収まり悪いんじゃないの?』
とか、現場サイドの勝手な能書きをたれていたことを思い出す。

(私が今の仕事をやる、きっかけになった一つ、ともいえる住宅であるのだが
 その話は、いずれ機会があるときに。)

その建築家は、代表作を集めて、建築専門の出版社から、
一冊の本が発行されるくらいの有名建築家である。

その住宅も、その本の中にきっちりと収められているものだ。

そう!そのような住宅が売りに出ていたのだ!

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本来ならば、このように写真や図面を載せることは
いろいろな観点から、してはいけないことなのかもしれない。

それでも、あえてこうするのには理由がある。

この販売広告によると、『家』は“オマケ”なのである。

つまり、『土地』の販売なのだ。

『そのまま、使いたければお好きなように。
 解体するには、費用が掛かるし
 出来ればこのまま売れてくれると助かるけど
 しばらく経って、誰も買う人がいなければ、
 建物壊して、更地にいちゃうよ。       』

ということなのである。

つまり、『家の価値』は見ていないのである。

誰が設計しようと、どんなにいい建物であろうと
商業ベースの話の中では
『何坪だから、いくら』 ということなのか?

“建築ブーム”といわれている昨今。
それでも、その意識が変わるのには、
まだまだ、時間が掛かりそうだ。
 

January 6, 2006

巡り会い(合い) でちょっと思ったこと

chootaさんの『記憶と幻想』にTB

私も、garaikaさんの発案された
『施主のための住宅本の読み方』について、真剣に取り組むと宣言しておきながら
未だに進んでいない。

そんな私を横目に、
chootaさんが、家づくりするにあたって
「参考にした本」「影響を受けた本」について
エントリを続けている。

もうぼちぼち本気で始めなくてはいけないと
気ばかりが焦る今日この頃です。

そのchootaさんの最新のエントリの文中に

>考えるとめぐり合えてよかった本なのだと思う。
>そうでなければどこか奥歯にものが挟まったような
>気持ち悪さが残ったのではないか。

“本”、“人”ともに
『この本(人)に出合っていなければ、
今頃はどうなっていたことか、・・・』
ということは沢山あるのだろう。

今年も、一つでも多くの、いい出会いがあることを
願ってやまない、仕事始めです。

投稿者 asazuma : 4:45 PM

January 1, 2006

ご挨拶

年賀 06.jpg

投稿者 asazuma : 2:14 AM | コメント (9)