February 2, 2005
懲りもせずに、またこの話
あちこちの住宅建築関連BLOGで議論があった『建築家とは?』のはなし。
つい先日、建築家・設計者・建築士のNさんが久しぶりに遊びに来てくれました。
(なぜかわからないがNさんとはいつも、ものすごーく長時間話してしまうのです。)
で、そのときの話。
Nさん自身は建築家の定義をかなり絞り込んでいるとのことでした。
つまり、現状で建築家と呼べる人はほんの一握りしかないと思っているようです。
ご自分のことについては建築家なのか、そうじゃないのかはどう思っているかはさておき。
「画家に絵を描いてくれと頼んだとき
『そこは赤で、そっちは青でね』とは頼みませんよね。
でも、多くの住宅建築のときは違う。
『あっ、そこには棚を2枚ね。それからこっちは壁の仕上げはこのビニールクロスでお願い』って
当然のように言われる。
画家には“お任せ”でも、建築家(一般に建築家といってしまっている人)に対しては“お任せします”といっておきながら『でもここはこうしてね』とおまけの一言がつく。
悪いことに、建築家(一般に建築家といってしまっている人)のほうもそれに従う。
それってやっぱり“建築家”じゃないですよね」
といっていました。
(注:多少デフォルメしてます。でも内容は大方こういう感じ)
『俺はこういうのをつくっちゃうぞ!それでよければ、いつでも依頼に応じるぞ』
『私に設計を依頼したのであれば、君も私の作品の一部として暮らしなさい』
という建築家が昔はいたとか、いないとか。
画家の好きなように絵を描かせる人 :スポンサー、パトロン
建築家の好きなように設計をさせる人 :スポンサー、パトロン、普請道楽(ちょっと違うかな?)
(そんな人は少なくとも日本にはいない。たぶん)
自分では具体的に表現できない部分
を構造、設備、法規チェックし、予算
ともすり合わせてたうえで、できる限り
理想とする家に近づくように一緒に考
えて欲しいと願う人 :施主
絵の場合は、後に大化けして、大儲けできることもある。
建築の場合は・・・?
というわけで、今日も私は“施主”のために日夜努力しようと誓うのであります。
Posted by asazuma at February 2, 2005 5:17 PM | TrackBackNさんの定義に従い、建築家と画家が同様の存在であるとすると、「建築」というもの自体が「絵画」のように芸術ということですね。
では、建築家が設計していない建築をなんと呼べばいいのか?
アマチュアが描いた絵画ならプライスはつきませんが、建築にはプライスがありますよ。そのプライスはすべてコストということでしょうか(絵画で言えば紙と絵の具代?)。
私にはそのプライスにコスト以外のその他付加価値は含まれていないとは考えにくいのですが・・・。
で、私はあんまり狭義にとらえず、気楽なイメージの「家(か)」になってしまえばいい、などと思うのです。
Posted by: garaika at February 2, 2005 6:33 PMおーい、Nさ〜ん!
もしこれをご覧の時には、コメントへ参加して下さい。
“ヒール”がいるとプロレスは盛り上がるのです。
Nさんに限らず、設計を職としている方はどうぞお気軽に!
Posted by: asazuma at February 3, 2005 10:34 AMgaraika さんのところで「本」の話が出てましたけど、施工前、中、後、後何年か過ぎた施主ってな具合に書き手を分けて、それぞれに『建築家とは?』について書いて貰い、ついでにそれら見ながら書き手同士で対談形式の議論をするってのは面白いかもしれないと思いました。本当言うと施主だけでなく、建築家(?)もそこに混じると尚面白いと思うんですが。。
しかし、私の場合、どうもこの人気の議題にはなかなか乗れないところがあるんですね。何しろ美大出なもので、「建築家」の前に「芸術家」の定義ももう崩壊しまくったところで生きてたと申しますか、、garaikaさんの言われるように「気楽」に、お好きなように〜が身上となってしまっているのであります(笑)
Posted by: m-louis at February 3, 2005 1:27 PM皆様へ
すみません。私はもう“家(か)”論争をするつもりは無いのですが、先日あまりにも寂しいものを読んでしまいました
http://www.geocities.jp/ieiebanzai/jimusyo2.html
これは切ない!
これではやりきれない!
建築家(一般にそう言われている人)たちからも、たとえ匿名でもいいから『俺はこうだ!』『私はこうありたい!!』という意気込みを聞きたいと思っただけでした。
たぶん、私が長話しが好きなNです。
asazumaさん、ずるいなあ〜、出張に行ってる間に、
人のことを勝手にヒール?にして...。
内容はほぼ間違いないですが、会話の流れの前後を
省略されると、ちょっと厳しいです。
絵画などの美術品と、建築を比較する話しの流れの中で、
「芸術家としての(または芸術家的な)」建築家は
少数ではないかと...、そんなニュアンスのつもりでした。
建築家にも「教育者としての」、「実務家としての」、
「住宅を得意とする」などなど、いろんなタイプが
存在すると考えると、総論か各論かで話しがずれてしまいます。
ヒール?の私としては、同じ「家」なら、建築家は格闘家と
比較した方が、いろんな事が見えてくると思っています。
経済の原理に少し背を向け、ストイックに日々、鍛練。
どんなに鍛えても、対戦相手に恵まれず、
試合が噛み合わなければ周囲からブーイング。
勝敗よりも、ベストバウトを夢見ているのに...。
子供の頃に見た猪木とアリの異種格闘技は面白くなかった。
マッチメイクは、とても重要だと...。
そこがasazumaさんたちの手腕かと...。
さて、朝妻さんこそがヒールであったことが判明したところで・・・。
格闘家的な家(か)の建築家が実際いらっしゃることがわかってうれしいです。
私としては、あとは噺家的な家(か)の建築家の存在をしりたいところです。
政治家的、評論家的な家(か)もいるのかなあ。
Posted by: garaika at February 4, 2005 7:58 AMNさん、書き込みありがとうございます。
いつの間にか、私がヒールになってしまったようで・・・
アリ vs A.猪木
異種格闘技
クライアント vs 建築家
異種格闘技?
アリと猪木の試合、あの試合を見た当時は確かに「何だこれ?つまんないなあ!」と感じた。
しかし、歳を重ねた現在、振り返ってみると、これまで違う場で勝負してきたもの同士がひとつのリングで戦う場合、それも各々がその競技の代表的な存在の場合、勝敗はその個人の問題だけでは済まされない。また、その試合のルールについても制約が多すぎた。その中で行われたあの試合は、互いが相手の強さを十分にわかっていた、それゆえ相手の間合いには絶対に入りたくない。すると必然的にあの“アリキック”の状態になる。
試合開始直後には猪木はアリを組み倒そうとしていた、そのときアリの切れのあるパンチが飛んできた、反射的に猪木はあの体制になった。そして、そのまま試合終了。
うん?なにもここでこんなに熱く語る必要も無いですね。
つまり、『相性が悪かった』ということでしょうか?
ちなみに、私はホーガンのアックスボンバーをまともに食って、ベロを出して倒れた猪木を見て、『アー、俺のプロレス人生は終わった』と感じました。
Posted by: aszuma at February 4, 2005 12:55 PM朝妻さん、コリもせず、TBしました(笑)。
ちなみに、私のプロレス人生のひとまずの終わりは朝妻さんと重なっていますが、数分ほどずれています。
私の場合、ホーガンのアックスボンバーでベロを出して倒れた猪木が、いつのまにかリングに上げられた時、でした。
Posted by: garaika at February 4, 2005 7:37 PMはじめまして!garaikaさんのブログをたどって来たら、なにやら見覚えのあるURLが・・以前建築士事務所の件で紹介させていただいたページですね!(^^)
私も仕事柄色々な事務所さん(大手、アトリエ系、代書屋さん系?)とお付き合いがありますが、なかなか厳しい世界ですよね・・
僕もノアノアさん同様、建築家と建てる家がもっと増えたら良いのにな!と思います。
没個性な街並みからの脱却・・切に願っています!
あ!某HM系がダメ!って訳では無いですよ!(笑)HM内の建築士にも没個性からの脱却頑張って欲しいです(^^)
